元ハガキ職人・ママタルト檜原とジョックロック福本、芸人としての礎築いたラジオ投稿生活(お笑いナタリー)

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出典元:お笑いナタリー

久々に会う友達との近況報告会をお笑いナタリー上で展開する不定期企画「よっ!最近どう?」。今回は、15年以上前にラジオのハガキ職人仲間として知り合ったママタルト檜原とジョックロック福本の再会の場を用意した。芸人ラジオ番組で磨いてきた大喜利の腕と、そこで読まれるという自信を糧に、お笑いの道への第一歩を踏み出したという2人。知っている人には聞き馴染みのあるラジオネームも多数飛び出す、和やかな対談をお届け。

【画像】ゲッパーランドことママタルト檜原と、ミッドナイトクイーンことジョックロック福本(他9件)

取材・文 / 狩野有理
撮影 / しばたみのり

■ ハガキ職人のオフ会が第2の青春
──まずは、お二人のラジオネームからお聞かせいただけますか?

ママタルト檜原 どうもこんにちは、ゲッパーランドです。

ジョックロック福本 ミッドナイトクイーンです。

──今日は、もともとハガキ職人同士として交流を持っていた檜原さんと福本さんが芸人になり「M-1」決勝で再会を果たしたという素敵なエピソードをもとに、お話を伺っていきたいと思います。今名乗っていただいたラジオネームの由来は?

檜原 僕はケンコバさんやバッファロー吾郎さんのラジオをよく聴いたんですけど、「キン肉マン」の話をよくされていたので、「これは勉強しなければ」と思って一から読み始めたんです。

福本 わかるわー(笑)。

檜原 そして「キン肉マン」を全巻読んだあと、ケンコバさんもバッファロー吾郎さんもあまり読んでない「キン肉マンII世」という続編にハマりまして。そこにゲッパーランドというキャラクターが出てきて、非常に勢いのある、いい名前だなと思ってラジオネームにしました。

──なるほど。福本さんは?

福本 僕はラジオにメールを送り始めた頃、自分でラジオネームを付けるのが恥ずかしくてほんまに適当な名前ばっかりだったんです。まったく読まれないので、「時計」「土」とかコロコロ変えて送ってました。それはそれで恥ずかしくないことはないんですけど(笑)。ある日、友達としゃべっていて、昔お父さんが暴走族の副リーダーでそのチーム名が「ミッドナイトクイーン」やったという話を聞いたんですよ。「なんやねんそれ、ダサ!」とか言って笑っていたんですけど、帰ってからラジオに送るメールを考えていたときに、「そういえばミッドナイトクイーンって言ってたな」と思い出して、それで送ったら初めてメールが読まれたんです。そこからミッドナイトクイーンになりました。

檜原 暴走族のチーム名やったんですね(笑)。

──お互いのラジオネームは番組を聴いている中で知ったんですか?

檜原 僕は中学生のときにサバンナさんのラジオ(「よしもとエンタテイメントステーションGOYŌDA」木曜)を毎週聴いていたんですけど、白鵬の話をよくされている時期があったんですよ。その時期にミンナイ(ミッドナイトクイーン)さんの名前を耳にしていました。

──白鵬っていうのは相撲の?

檜原 そうです、そうです。

福本 サバンナさん、特に高橋さんが格闘技をお好きなんですよ。K-1とか。だから格闘技のパロディのネタがよく読まれていたんですけど、僕はまったく知らなくて、メールを送るためにめちゃくちゃ勉強しました。ゲッパーくん(ゲッパーランド)の「キン肉マン」と一緒ですね。ゲッパーくんはなんの番組に送ってたっけ?

檜原 僕はジャルジャルさんとか、中山功太さんとかです。

福本 せやせや。(中山功太とネゴシックスが担当していた)「ガンラジ(baseよしもとガンラジ)」でよく名前を聞いてました。僕も「ガンラジ」はちょっと送っていたので。でもそのときはまだ知り合ってはなかったです。

──「よく聞くラジオネーム」という関係性から、リアルで知り合うようになったきっかけは?

福本 サバンナさんの番組はポイント制になっていて、10ポイント貯まったハガキ職人がスタジオに呼ばれて大喜利をするという企画があったんです。それに僕も呼ばれたことがあったんですけど、その中の1人にラジオネーム「チンカス」さんという当時40歳ぐらいの名物おじさんみたいな人がいて。その人が東大阪の近大(近畿大学)の近くで居酒屋をやっていて、大喜利大会に参加していたハガキ職人たちを招いてくれたんですよ。そこでお笑いの話をめっちゃして、そこからmixiでハガキ職人たちがどんどん繋がりはじめ、「GOYŌDA」に出た人以外も含めた関西のハガキ職人たちがその店にどんどん集まるようになり、そのうちの1人がゲッパーくんでした。

──すごいコミュニティがあったんですね。当時の印象は覚えていますか?

福本 シンプルに、「高校生やな」っていう印象です(笑)。

檜原 僕は高校に入って思い切って告白したら彼女ができて、その彼女と出かけた日記とかを、mixiに一生懸命書いていました。

──まさか「全体に公開」にしていたんですか?

檜原 そうです。個人情報を出しすぎて、彼女にチクリと言われてしまいました。

──初々しいお話です。

福本 ほんまにイモ坊主というか、まさか彼女がいるなんて夢にも思わんような子だったんですよ。ハガキ職人の集まりなので、モテてない奴らとか童貞みたいな奴らばっかりだったので、「高校生のこいつに彼女がいるだと!?」という衝撃がありました。

檜原 嘘つき扱いされてました(笑)。「ラジオに大喜利を送っているハガキ職人の高校生に彼女がいるなんて嘘に決まってる!」って。

福本 確かに、信じてはなかったですね。嘘の日記まで書いてかわいそうな奴だと思ってました(笑)。

檜原 福本さんは僕が高校生のときに大学生だったので、かなり大人だと思っていました。1つ上のグループみたいな。

福本 僕らはその集まりのスターティングメンバーでもあったので、かなりでかい顔はしていたと思います(笑)。「おー、君も来たんか?」みたいな感じの扱いをしていましたね。人数はどんどん増えていって、数十人規模にはなっていたと思います。「カプリ」っていう居酒屋です。

檜原 もう今はないんですよ。

福本 あったら絶対行きたかったのになあ。

──そのコミュニティの中で、お二人以外にお笑いに携わる仕事に就いた方もいるんですか?

福本 にんげんっていいなのやなぼうさんもカプリに来てました。当時は、夜カプリに集まってみんなでラジオを聴いていたんですよ。「うわ! お前読まれたやん」とか言いながら。ラジオにも“トリ”みたいな文化があって、「今週自信あったのに読まれへん」「いや、トリちゃう!?」と盛り上がっていました。最後に読まれると「よっしゃー!」ってなるんですよ。やなぼうさんはラジオもですけど、「ケータイ大喜利」(NHK総合)でもけっこう上のほうにいる方でした。

檜原 「ゆとり教育世代」さんという名前です。

福本 カプリにはテレビもあって、みんなで「ケータイ大喜利」も観ていました。

──なんだか“青春”ですね。

福本 僕はかなり、“第2の青春”感はありました。

檜原 高校生の女の子と大学生の男の子が付き合ったりとかもありましたし。

福本 あったなあ。しかも、けっこうドロドロしてて(笑)。「誰々と誰々が揉めたらしい」みたいな話はしょっちゅう聞いてましたね。「オタサーの姫」ではないですけど、女慣れしてない奴らの中でかわいい女の子が無双していくみたいな。

檜原 全員の心を鷲掴みにして帰っていってましたね。

■ 「大阪府和泉市…」で血が沸騰
──ハガキ職人をしていた頃はどういう生活をしていたんですか? 毎日ネタを考えて送って、みたいな?

福本 そうでしたね。高校に入って僕は一切の勉強をやめまして。

──なぜですか?

福本 ネタを書かなきゃいけなかったんで(笑)。木曜日の「GOYŌDA」を軸に、「うわ、もうすぐ木曜や!」みたいな、まったく誰からも求められていない締め切り生活をしていました。

檜原 僕も月曜日は中山功太さんとネゴシックスさん、水曜日はアジアンさんのラジオ、木曜日はフットボールアワーさんの「ナニワ音楽ショウ」という音楽番組の大喜利コーナー、金曜日は麒麟さんのラジオに送らないといけなくて、それとは別に「KANSAI1週間」という隔週の雑誌があってそこにプラン9さんの大喜利コーナーがあってそこにも送らないといけなくて、常に大喜利の締め切りに追われる毎日でした。

──それほどまでにラジオや大喜利にのめり込んだきっかけはなんだったんですか?

福本 成功体験ですよね。テレビに出ている人に自分のネタが読まれるというあの感覚は、1回読まれてみないとわからないと思います。脳が痺れると言いますか。

檜原 痺れますね。スパークします。僕は中学生ときの職業体験で、コンビニとかじゃなくてサバンナさんの1日マネージャーをやりたいと思って、一生懸命がんばって名物リスナーになろうとしていたんです。職業体験って、自分で親とか親戚にあたって協力してくれる職場を見つけてこなきゃいけないんですけど、1学年上にみんなが羨む職場体験をしてきてそれが学級新聞に写真で載った人がいて。それがいいなーと思ったんですね。で、1年間メールを送り続けてサバンナさんの番組の名物リスナーになって、職場体験の週ぐらいで「職場体験に行かせてくれませんか?」とメールしたらオッケーしてくれるかもって。本当、中学生の考えですけど。

福本 すごい野心やん(笑)。

檜原 やっぱり全然読まれない日々が続いたんですけど、1回だけ読まれたことがあって、そのときは本当に脳がスパークして。次の日にはもう有名人になった気分というか、「顔さすんちゃうか!?」みたいに思いましたね。

福本 それくらいの感覚にはなるよな。

檜原 「蚊」っていうラジオネームで読まれました。僕、「大阪府和泉市」だったんですけど……。

福本 わかるわー。これね、ハガキ職人あるあるです。

檜原 まず、(読まれるメールの住所が)「大阪府」の時点でちょっと熱いんですよ。

福本 絞られるよな。「兵庫県」とかもいるので。

檜原 「大阪府」でちょっとグッとなって、「和泉市」ってきた瞬間は血が沸騰するんですよ。「和泉市」でほぼ当確なんですけど、ときどき和泉市にほかのハガキ職人もいるので油断できないです。

福本 マジでそうよな。僕は「大阪府南河内郡」だったんですけど、南河内郡なんて相当少ないんですよ。でも、南河内郡に1人だけ「近代マグロ」という奴がおって、そいつやったときは「うわー!」ってなります(笑)。争ってましたね。懐かしいなあ。

──檜原さんの職場体験は結局、叶わず?

檜原 全然でした(笑)。チュートリアルさんのラジオでよくメールを読まれる女の子が徳井さんとドライブデートに行く回があったんですよ。よく読まれている人はプライベートというか、その人自身がどういう人かをパーソナリティの方に知られている感じだったので、そういうのもいっぱい送ってみたりもしました。

福本 俺は尖ってたから、ダサいと思って“ふつおた”は1回も送らなかったわ(笑)。

■ 会わない間も入ってくるお互いの情報
──お互い芸人になってからも連絡は取っていたんですか?

福本 いや、一切取ってなかったです。

檜原 mixiがネットの主流じゃなくなってからはなくなりましたね。

──それぞれ芸人になったことも知らないくらい?

福本 僕はめちゃくちゃ知ってました。ゲッパーくんの情報はチンカスさんとかから入ってきていたので。

檜原 ミンナイさんが「なまくらジャック」さん、「トニータラスコ」さんと「3900点」と書いて「ザンク」というトリオで「キングオブコント」に出ているのは聞いていました。僕は年下だったので、大学生のコミュニティみたいな感じのお三方を羨ましく眺めていて。ザンクのメンバーから福本さんだけNCSに入ったっていうのも聞きましたね。

福本 知ってたんや?

檜原 「いなはる」ちゃんから聞きました。

福本 音楽ライターになったいなはるちゃんね。

檜原 福本さんが(よしもと漫才劇場への出演をかけたライブ)「アップトゥーユー」でさがぴん(=佐川ピン芸人)たちと一緒に苦戦されてたのとかも知ってました。

福本 10年苦戦してたな(笑)。あるときXをフォローされたので、「あ、ゲッパーくん俺のこと認識してるんや」みたいなことも感じていましたね。僕はけっこうママタルトを追っていて、めっちゃおもろい奴と組んでるやんと思ってました。

──お互いの情報は直接ではないけれどもハガキ職人仲間からちょこちょこ入ってきていたんですね。久々に直接会えたのは「M-1グランプリ2024」の準決勝ですか?

福本 いや、そのちょっと前に会ったんですよ、十何年ぶりに。バッテリィズ、ジョックロック、からし蓮根、20世紀、空前メテオで「漫荼羅」というユニットライブをやっているんですが、2024年6月の公演にゲストでママタルトに来てもらったんです。これがかなり僕的にはドキドキしていて。というのも、当時はゲッパーくんに対して「彼女おらんやろ?」みたいな高圧的なコミュニケーションを取っていたわけですけど、芸人としては(檜原が)先輩になっていたので、これはどうしたもんかと。さっき言っていたゆとり教育世代さんも、もともと僕が高圧的コミュニケーションを取っていたんですが、芸人になってからは(やなぼうが先輩のため)敬語で接していたんです。今ではもうタメ口の関係になりましたけど。で、これゲッパーくんとはどうなるやろな?と。そしたら、ゲッパーくんのほうから「あっ、久しぶりですね」って来たから、「……そうやなあ」って返しました(笑)。

──檜原さんの出方次第だったわけですね。

福本 そのとき真空ジェシカさんにもゲストで来ていただいていたんですけど、劇場の楽屋口に入り方がわからない感じでゲッパーくんと川北さんがいたんですよ。僕は川北さんと初対面だったので、まず川北さんに「ジョックロックの福本ユウショウと申します」と挨拶したら、ゲッパーくんが「久しぶりですね」と敬語で来てくれて。「そうですね」と僕も敬語で返す道もあったんですけど、頭グルルルルルル!って回転して「そうやな」でいこう!と。そこで決まりました(笑)。

檜原 それが僕はうれしかったです。

──逆に、檜原さんはそのときタメ口でいこうとは思わなかったんですか?

檜原 まったくです。もう“ミンナイさん”なので。

福本 川北さんも芸歴的にはゲッパーくんの後輩だけどタメ口なんですよ。だから僕もそれに寄せさせてもらうことにしました。

■ 内気なラジオ少年たちが声デカツッコミとして「M-1」で再会
──「M-1」の決勝で戦えたのはどうでしたか?

福本 激エモですね、さすがに(笑)。お互い決勝に行けたのはすげえなって、めちゃくちゃ感慨深かったです。

檜原 僕はさっきも言ったように大喜利の締め切りに追われる生活で、お母さんに「ちゃんと勉強してんのか」って聞かれて「うるさいな!」って言うような高校生だったんですね。「お母さんは、俺がすごく忙しいの知ってる? 知らんやろ!」って(笑)。

福本 あはははは!(笑) 忙しいのよなあ、マジで。

檜原 そんなんで怒るくらい、僕も福本さんも本当にインドアな、内気な人間だったのに、十数年経って僕も福本さんもすごい大声のツッコミになっていて、エモかったですね(笑)。

──その後、「座王」(関西テレビ)では個人で大喜利対決されていましたね。

福本 そうですね。「M-1」決勝に行ってからはかなりいろんなところで会うようになりました。ハガキ職人時代に会った回数を優に超えてます(笑)。

──あ、ハガキ職人の会は頻繁に開催されていたわけではないんですか?

福本 毎週集まるとかではなくて。言うてもオフ会なので、5~10回の間くらいです。

檜原 そうですね。あるとき僕が、小籔(千豊)さんとレイザーラモンさんのビッグポルノという音楽ユニットのCDをiPodに入れたいということでトニータラスコさんからお借りしたんですけど、CDのパッケージにヒビが入っちゃってたんですね。それにトニータラスコさんがかなり激昂するという出来事があって。

福本 ええ? そんなことあったん?(笑)

檜原 mixi上で「信じられへん」って怒られて。僕はそのとき高校生で若さゆえの至らない点なんですけど、「高校生にCDを貸して、それがちょっと痛んで返ってきたくらいで怒りすぎ」って言い返しちゃって(笑)。小さい遺恨みたいなのができてしまって、そこからカプリに行く足取りが重くなっちゃったんです。

福本 でもそんなことがほんまに日常茶飯事やったんですよ。「誰かと誰かが揉めたから、あいつがいるときは行けへん」みたいな。特にトニータラスコは揉めがちで、あいつほど若気の至りっていう言葉が似合う男はおらんというか(笑)。そんなトニータラスコも「漫荼羅」観に来てました。最近はよく観に来てくれていますね。「M-1ツアー」とかも来てたし。

檜原 え! そうなんですか? もし僕もミンナイさんもいて、トニータラスコさんが観に来られている回があったらちょっと会いに行かせてください。

福本 じゃあ、飯行くか(笑)。

檜原 当時のことを謝りたいです。まだ謝れていないので(笑)。

■ “自己紹介ボケ”を教えてくれた青空にジャンプさん
──お二人がハガキ職人から作家やラジオのスタッフではなくて、芸人を目指したのはなぜなんですか?

福本 最初は作家さんになろうとしていました。ただ、今は作家の学校とかもありますけど、当時は作家のなり方がわからなかったんです。最初はテレビのスタッフとか、制作会社の面接とか行ったりしたんですけど、普通に落ちて。だんだん自分で考えて自分でやってウケたいなと思い始めて、芸人になろうと思いました。それから「キングオブコント」「THE MANZAI」の予選やインディーズライブに出ていたんですけど、ひと笑いも起きなかったんですよ。そこで普通は心折れてやめそうじゃないですか。でも「いや、こんなはずはない」と思って、「俺は絶対に面白いんや」という確固たる意思でNSCに入りました。で、9月くらいに初めて人前でネタをやったら、めちゃくちゃウケたんですよ。「やっぱ芸人やったんや俺は!」と思いましたね(笑)。そこでスベってたらやってなかったかもしれないです。

──その自信は、ラジオで培ってきたもの。

福本 もちろんそうです。「俺は黒帯戦士やぞ」と。サバンナさんのラジオで10ポイント貯めたら、ペラペラの黒帯が送られてきたんですよ。それを持ってる奴だけがその大喜利大会に出られるっていう。黒帯メンバーと呼ばれるかなり上位層だったので、自負はありましたね。

──檜原さんはハガキ職人からいきなり芸人に?

檜原 僕は高校3年生のときに、豊中市ラジオネーム「雛乃卵」という奴と「ハイスクールマンザイ」に出たんです。雛乃卵は高2のときに高3の人と組んで「ハイスクールマンザイ」で関西の準決勝まで行っていて、「ハイスクールマンザイ」の2ちゃんねるで「こいつは将来えぐいことになる」みたいな評をもらっていて。3年生になって新しい相方を探しているということで、ぜひ一緒に出させてほしいと言って2人で出場したのが始まりです。

福本 雛乃卵と出てたんや? 雛乃卵もカプリに来たことあったよな?

檜原 雛乃卵はまたちょっとグループが違いましたけど、来てたと思います。千原ジュニアさんの「題と解」という大喜利の配信番組でよく読まれていた人たちのmixiのグループがあって、雛乃卵はそこにいたんですよ。で、そいつと一緒に「ハイスクールマンザイ」に出て、初舞台にして南大阪の地区予選で優勝し、「俺はエグい。どうなっちまうんだろう」と思いましたね(笑)。

──ハガキ職人から芸人になって再会を果たしたお二人ですが、この場で報告したいこと・話しておきたいことはありませんか?

檜原 僕も自分たちのラジオを持って、大喜利メールを読むようになりましたけど、大鶴肥満はラジオをまったく聴いていなかったので最初の頃は僕が読み方を教えていたんですよ。「神奈川県横浜市西区」とか、政令指定都市の人は絶対に“区”まで読んであげたほうがいいって。僕は「大阪府和泉市」って読まれたときに僕自身がうれしいのもあるんですけど、和泉市の知名度アップに貢献している気持ちがあって。

福本 めちゃくちゃわかる! めちゃくちゃわかるそれ!

檜原 最初の頃は必ず政令指定都市の何区何々まで一生懸命読んでいたんですけど、ちょっとずつ昔の気持ちをどんどん忘れていって(笑)。最近は都道府県も飛ばすように……。

福本 変わりすぎやろ!(笑)

檜原 それはミンナイさんに見られたら「変わっちまったな」って思われるかなと(笑)。

福本 変わっちまったなあ(笑)。俺も今度ラジオ始まるんやけど、その特番を4回やらせてもらったとき俺はちゃんと“市”まで読んだぞ。

──福本さんから報告したいことや今だから聞いておきたいことなどは?

福本 報告は、なまくらさんに第2子が生まれてること。

檜原 なまくらジャックさんに!?

福本 トニータラスコも結婚したし。

檜原 それはうれしいですね。

福本 でも「青空にジャンプ」さんの消息は知れへんな。

檜原 青空にジャンプさんはみんなのハブポート的な人で。わりと聴いているラジオごとにグループができていたんですけど、青空にジャンプさんは全部のラジオで読まれている人で、パイプ役になっていました。

──ちなみに、当時のハガキ職人仲間が自分のラジオ番組にメールを送ってくれることもあるんですか?

檜原 「すり身」さんという方が今も送ってくれるんですけど、不採用にし続けていていたらスネて送らんようになってしまった、とかはありました(笑)。

福本 僕のところにはチンカスさんが送ってきてくれました。もうハガキ職人はやってないんですけど、老兵が出てくるというというか、昔すごかった人がピンチに駆けつけてくれるみたいなことはありますね。チンカスさんにはゲッパーくんのほう送ってほしいな。で、不採用にしてもらって(笑)。

──今日お話を伺って、ハガキ職人をやっていた経験はお二人の礎になっているんだなあと感じました。

福本 礎中の礎です。礎というか、もう“入口”なので。

檜原 そうです。当時僕は高校生で、ミンナイさんは大学生だったんですけど、高校生から見た大学生ってすごい面白いんですよ。声が大きかったり、堂々としてるとかも含めて。

福本 いや、声はむちゃくちゃちっちゃかったけどな?(笑)

檜原 青空にジャンプさんに漫才の台本を送って添削してもらったこともありますし。青空にジャンプさんって、本当にラジオにメールを送ること以外のことは何もできない人なんですけど(笑)。

福本 本当にそんな奴らの集まりなんです(笑)。「ここでだけはヒーローになれる」っていう人ばっかり。

檜原 ジャルジャルさんのラジオでたくさん読まれたリスナーが集まって、自己紹介するってなったときに、「普段何してんの?」って聞かれて僕は「高校3年生です」と普通に答えたんですけど、青空にジャンプさんは「空き巣です」って言っていて。

福本 自己紹介ボケを初めて目の当たりにした瞬間(笑)。

檜原 自己紹介ボケを人生で初めて見て。なんて面白いんだ!って。

福本 確かに、そこでボケるっていう発想がないよな。

檜原 ボケてきた!って衝撃を受けて。そこで“お笑い”っていうのを学びました。

福本 それが礎?(笑)

檜原 深く根づいていますね。

──インタビューは以上です。何か言い残したことがあれば。

檜原 かなり大昔ですけど、僕がまだ18、19歳くらいのとき、カプリは居酒屋なので未成年の人はジュースを飲んでたんですね。そこに「CRキングホーケイ」さんというちょっと体育会系な方がいて、「僕、1回もお酒飲んだことないんですよ」って言ったら「じゃあ一口だけちょっと飲もうか」って。

福本 よくないなあ(笑)。

檜原 僕は校則が厳しい高校にいたので「飲まないです」って断ったんですね。そしたらCRキングホーケイさんが、「CRキングホーケイの酒が飲めないって言うのか!」って(笑)。

福本 あはははは!(笑) 誰の酒やねん!

檜原 当時、表では「なんでなんですか!」とか言えない高校生だったんですけど、内心は「CRキングホーケイの酒は飲まんやろ」って思ってました(笑)。

──いろんな人がいますね。

檜原 大人と触れ合うのが新鮮で楽しかったです。

福本 ほんまにいろんな人がいました(笑)。貴重な体験でしたね。

■ プロフィール
□ 檜原洋平(ヒワラヨウヘイ)
1991年7月27日生まれ、大阪府出身。大学時代に大阪・5upよしもとで活動し、「わらいを愛する学生芸人No.1決定戦」で優勝している。2016年4月に大鶴肥満とママタルトを結成。「マイナビ Laughter Night」(TBSラジオ)や「ツギクル芸人グランプリ」など若手発掘コンテストの決勝で注目を集め、2024年の「M-1グランプリ」で初の決勝進出を果たした。毎週木曜20時から「ママタルトのラジオ母ちゃん」(GERA)配信中。サンミュージックプロダクション所属。

□ 福本ユウショウ(フクモトユウショウ)
1987年7月15日生まれ、大阪府出身。NSC大阪校35期生。同42期生のゆうじろーと2022年4月にジョックロックを結成した。2023年、2024年の「NHK新人お笑い大賞」決勝戦に進出し、2年連続で惜しくも準優勝。2024年には「M-1グランプリ」決勝に初進出。2025年3月に冠ラジオ番組「ジョックロックのミッドナイトフットボール」(ABCラジオ)がスタートした。サッカー番組「水曜はJ!」(関西テレビ)でMCを担当中。吉本興業所属。

いかにも
【誰でもできる】【簡単に】【誰でも効果がでる】
みたいに宣伝してるのは
逆に怪しすぎる印象をもってしまうよね

誇大な表現って警戒する人もいるよね。

わたしが気になっているのはコレ・・・

ぶっちゃけ、何だか怪しいなあ。
全額返金保証はついてるのかな?

やらないよりはやった方がいいのは分かるけど、
ちょっと不安~

投稿者 tongari